リビドー

フィクションの中で窒息死するまでセックスしたい

美化される過去

予定のない休日、とりわけドタキャンされて暇になった休日は負の感情に侵食される。

思考が内へ内へと深まり、一言も発しないまま夜を迎えた頃には「死にたい」に脳全体が浸り、シナプスが破壊されそうだ。

思春期の頃のそれとは異質だけれど、大人になったからこそより悪質なもののように感じる。死にたい大人なんて死んだほうがいい。

 

幼い頃から他人よりも傷つきやすい分、自己防衛のための術を学んできた。

落ち込むのは期待するから。

不幸だと感じるのは幸せを経験したから。

正と負のふり幅を調整することで、自分自身をコントロールすることができる。負の感情が怖いのなら、正の感情すら捨ててしまえばいい。

 

それでも少し気が緩むと幸福を求める人間の性には逆らえないことがある。

一口、もう一口とつまみ食いしていくと、その甘さの虜になって抜け出せなくなってしまう。

幸せは一瞬で、直後にはこれからどんな不幸が待ち構えているのかと怯え、そしてしっかりそれはやってくるのだ。

 

幸福を求めてしまった罰だ。

 

生きていたらいいことがあるなんてよく聞くけれど、いいことの何倍も悪いことがあることを教られたかった。自殺なんてと否定する世の中よりも、せめて死だけは自分で選択できる世界に生まれたかった。

若さとか、経験の数とか、結局自分のものさしでしか測れないものを盾に私の思考を無理にでも止めようとする敵しかいない。

 

祖父が自殺したと聞いた時の高揚感を今でも覚えている。

驚きと悲しみを打ち消すほどのあの高揚感を再び感じたいと思うことは、正を求めることか、負を求めることか。